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『マナリアフレンズ』BD1巻を購入しました

『マナリアフレンズ』BD1巻を購入しました published on

『マナリアフレンズ』BD1巻が届きました

ジャケット、ケース、円盤、ブックレット







ネタバレを食らう


監督とキャラデのインタビューなんですが、既に全話仕上がっているとは知らず、
最後のページで最終回のネタバレを一部食らってしまいました……
全話視聴前に円盤を購入する方は気を付けて下さい。



“心の機微を追う異世界の日常ドラマ”


インタビュー1ページ目前半より。

――まず作品のコンセプトに関して伺います。原作となるゲーム内イベント「マナリア魔法学院」で、プレイヤー・キャラクターの仲間NPCだったアンとグレアを主人公に据えるというのは、はじめから決まっていたのでしょうか?

岡本
 我々が参画した時点で、全体のコンセプトは既に固まっていましたね。ただ僕が監督するにあたって、「キャラクターをもっと掘り下げたい」という提案はさせて頂きました。「この子は、本当はこういう人物なんじゃないか?」とか、「ならばこう考えるんじゃないか?」という部分を深く描いて、彼女たちをもっと好きになってもらいたかったんです。

――ということは、アンとグレアの人物造形も、ゲーム版とは一味違うわけですか?

岡本
 元々の設定として、ふたりとも自分の国では王女様なのですが、主にこの部分で発想を広げています。たとえ慕われてはいても、それはあくまでも「王女様だから」で、やはり周囲の人との間には、見えない壁があるのではないか。ましてその状態で出来る友達って「本当に心を許せる相手なのかという問いかけですね。しかもアンなりグレアなりの立場では、その壁を自分から越えて行くと、相手にとっては負荷になりかねません。たから楽しげに見えても、内心では同じ寂しさを募らせていて、だからこそ最後には単なる友達以上の親友になれたのでしょう。その過程で絶対にあったはずの、お互いの心の壁を乗り越えて行くプロセスを丁寧に描くことで、ふたりがお互いにかけがえのない存在となった理由を理解してもらいたかったのです。

――ドラマティックな大事件が次々に起こるのではなく、何気ない日常の描写が重ねられている作風も、そうした意図によるものなのでしょうか?

岡本
 もちろんそれは、あえてやっています。話数によって出来事に起伏は作っていますが、あとはひたすら日常を描いて、そのなかで起きる感情の機微を見せていく、という作り方ですね。


個人的にはスタッフの変更に関して何があったのか気になりますが、
いずれにせよ素晴らしい作品ですので追求する必要はないでしょう。

15分アニメで主に二人の女の子にスポットを当てるのは、当初本作を監督・構成するはずだった
ほしかわたかふみ氏の手掛けた『Candy boy』と同じです。まだ見ていない方は是非ともご覧になって下さい。

この“心の壁を乗り越えて行くプロセス”ですが、このあたりは尺の短いアニメでは厳しいものがあります。
それを最も得意とする媒体は、音響を伴う形式としてはノベルゲーム(ADV)が一番です。

一方で、アニメは演出の自由度が非常に高い為、あらゆる要素が上手く噛み合った場合、
脚本との相乗効果が生まれ、たとえ尺は短くとも見る者に感動を与えてくれます。

個人的に、それを最も実感させてくれたのが某レースアニメの第三話においてでした。(第二話までの流れを含む)



“圧倒的クオリティが可能にした映画的作劇”


インタビュー2ページ目より。

――では続いて、作劇に関してお聞きします。先ほど「日常を描く」と仰っていましたが、その「異世界ならではの日常」の想像レベルがとても高いですよね? 「竜と人間のハーフの女の子は、尻尾が太ることを気にする」というようなディテールは、どうやって思いついたんですか?

岡本
 あれはどこから出たんでしたっけ?(笑)たぶんスタッフとのアイデア出しから生まれたと思うんですけど。ただ、実はそういうファンタジー的なディテールを取り払ってしまえば、物語の本質は学園友情モノですからね。ふたりの性格の違いや関係性が生むドラマだけでも、各話の面白い部分を作っていけると思っていましたから。むしろ、いかに普通の日常ドラマに落とし込んでいけるかが、命題だったと思います。尺が短いぶん壮大な話は作りにくいですし、基本的に一話完結のスタイルにしたかったので、なるべくスローテンポに「淡々と」という言葉が似合うよう心がけました。

――確かに時間の使い方も贅沢ですね。美術やキャラクターの表情を、じっくり見せていますし。

岡本
 そのあたりの画作りや尺の取り方には、「映画を作っているんだ」という意識が働いていました。僕が思うに、映画とTVアニメの最大の違いは、起承転結のリズム感なんです。やはり通常のTVアニメでは、わかりやすさや前回見逃したお客さんへの配慮などで、尺の自由度が狭いんですよ。ところが映画では「結」へ至るまでの一番感動してもらいたいところに「このぐらいの尺は要るでしょ!」という、思い切った作り方をするんですね。しかも今回は、音楽も完全にフィルム合わせで作っていただけたので、「BGMの尺が余ったからフェードアウト」みたいな場面もありません。これだけの音楽と美しい美術、いい表情の画があれば、映画的な作り方でも絶対鑑賞に耐えられますし、感動もしてくれるはずなんです。ですから今回は、大事なカットは8秒ぐらいたっぷり観せていますし、そのためなら「起」や「承」の尺や、セリフですらごっそり削っています。もう普通のTVアニメだったら放送事故レベルなんですけど(笑)、そこは「映画ですから!」と。

――では、一話完結にこだわった理由は?

岡本
 とにかく観終わったあと。余韻に浸って「ホッとして」もらいたかったんです。もちろんやろうと思えば、いくらでもヤキモキしてもらえますし、そのほうが次回への引きにはなるんですが、それって観ていて疲れるじゃないですか。ましてこの作品は、原作ゲームをプレイしている方向けのスペシャル番組という側面や、新規のお客様向けの導入という側面がありますから、そこであんまり疲れさせちゃうのは、サービスにならないだろうと。むしろ何気なく観た方にも、穏やかな気持ちになっていただければと考えています。


大事なカットで8秒ぐらいとありますが、この辺りのさじ加減は見事だったと思います。
情感を持たせたいからといって、あんまり長いと演歌になってしまいますからね。

尺の自由度に関してですが、映画に関しては編集でバッサリ切ってしまうことが多く、
この際に映画館での回転数を上げる為にと、割と必要であった部分まで切ってしまうことが少なくありません。

とはいえ、引用にある“映画”というのは実写ではなくアニメなのかも知れません。
さらに言えば、一本のオリジナルアニメ映画を指しているとも考えられます。



“「画で語る」演出は読み解きどころ満載!”


同じくインタビュー2ページ目より。

――ただそうは言っても、実は結構ハイブローな観せ方もなさっていませんか? 例えば第1話の冒頭からしてマナリア魔法学院の舞台設定をセリフやナレーションでは一切語らず、代わりに多種族の学生たちが普通に生活している様子を描いています。以降全編にわたって、セリフは少ないのに読み取るべき情報量は膨大な「画で語る」スタイルを貫いていますよね。

岡本
 ゆったりと観ることもできるけど、「細かく観ていけば何かしらの金脈は出てきますよ」という作りは、実はかなり意識していましたね。やはり抒情的な作品を目指している以上、ナレーションやセリフで何かを語るのは「つまらないなぁと」(笑)。 とはいえ、何の情報も伝わらないんじゃ困るんで、カットごとに「この画、この表情なら、この子の気持ちはわかってもらえますよね?」という、「画が語る」情報を、ふんだんに盛り込んでいますよ。

――台本でも、アンとグレアのセリフの多くが「……(内心こういうことを考えている)」という書き方になっていました。おかげで最初は「声優さん大変そうだなぁ」と思ったのですけど、よく考えてみると作画スタッフにとっても、これって恐ろしくハードルが高くないですか?

岡本
 ちょっとした表情や仕草が「……」のセリフと合っていなかったら成立しませんから、作画に関してはかなり無茶を言ったと思います。とにかくセリフで語らないので、「画を決められないと感動するところがないよ!」って(笑)。

(以下略)


この辺の詳細は、各話の解説として収録されていますので各自でご覧になって下さい。
コンテの切り方や色の効果、表情を中心に作画に関して色々と記載されていますので。

ブックレットの解説に影響された為か、全く百合的な面に触れていないことに気が付きました。
ネタバレは避けるので直接的な言及はしませんが、最新話である第七話が百合的に凄いです。
今までと違ってグレアのことでアンのテンションを一度落とすので、そこからの浮上が素晴らしい。
場所が図書館で屋内ですし、色とか光とかは普通なんですが、間の取り方に表情と演技だけでバッチリ決まっています。
あまりに可愛く百合百合しいので、私はデスクに突っ伏しながら乱れた呼吸が整うまで一分くらいかかりました。





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