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百合作品媒体小論

序文:


 アニメを含む映像作品、アドベンチャーゲーム、その他のゲーム、漫画、小説などの
 各媒体は、言うまでもなく様々な点で異なっている。

 漫画や小説は、聴覚に直接訴える演技や演出が無く、
 演出全般に渡って乏しい為、これらは考察対象の外に置く。
 また個人的な事だが、筆者は三次に百合を求めない為、これを除外する。

 ここではアニメとゲームのみを取り扱う事とする。
 しかしながら、他の媒体についても何らかの示唆を得る事は出来るだろう。


 今回、ここでこうして媒体の違いを取り上げるのは、
 それぞれの特徴や利点が異なっていることを再確認しておく為である。

 また本サイトでは、主に百合アドベンチャーゲームをレビューするという形式で、
 その一部を示してきたつもりである。
 加えて、そうしたゲームのみならず、片手間ではあるがアニメの方も薦めてきた。

 更に上述した各媒体に対し、百合というジャンルを併せて考察することによって、
 各媒体の方向性についての理解を深めることが、本稿の目的である。

 なお、筆者はこうした事柄を取り扱う専門家というわけではない為、
 内容に不備があるであろうことを先に注意しておく。

 ゲームは、紙芝居である
アドベンチャーゲームとその他のゲームに分ける。
 ゲームのムービーは、大きな括りでは基本的にアニメと同じ範疇に属する為、除外する。
 以下、アドベンチャーゲームは“ADV”、その他のゲームは“ゲーム”と略記。



演出:


 まずは演出について。

 画作りを含む演出において、最もクオリティが高いのはアニメである。

 止め絵としての演出ならADVもほぼ同等だが、塗りの質に関しては当然ADVが圧勝している。
 ゲームにおいて、3DCGの質は年々上がっていて、驚かされる事が多い。

 ゲームは、同じ動きを同じ仕方で見せる事が多い為、アニメに比べて飽き易い。
 カメラワークも、プレイヤーの操作が前提となっている所が多く、基本的には単調。
 アニメのそれは、必要な情報をより分かり易く伝えたり、暗示したりする為随所に工夫が凝らされている。

 音響的演出に関しても、言うまでもなくアニメが圧倒的。アニメでは
 数フレーム単位で台詞と音楽と効果音の調整を行っていて理想的と言える。
 演技に関しても、掛け合いが基本であり、個別録りよりも演者から引き出されるものが多い。

 さて、作画的・音響的演出として最も優れているのは、アニメである事が示された。
 視覚と聴覚を楽しませてくれるのは、ゲームやADVよりもアニメである。

 これらの優れた演出によって、アニメは周回視聴が苦ではなくなり、
 周回視聴を前提とした脚本作りも認められるのである。

 「シンフォギア」一期では、翼と奏の過去を知って初めて、翼の視点を手に入れる事が出来る。
 奏との関係を知った上で第一話を視ると、感情を突き動かされる事になるのである。



システム:


 ではゲームの利点とは何か。

 その最大のものは、システムである。プレイヤーが算術を用いて行うものや、
 論理を用いて行うもの、感覚を用いて行うもの等、多岐に渡る。これら三つを平行して行うことも多い。
 運に身を任せる事も含めれば、四つという事になるだろう。

 通常では出来ない体験が疑似的に得られるのが、ゲームの醍醐味であると語る者もいる。
 この辺りは本稿の主眼ではない為、これまでとする。

 システムが、物語を楽しむ上で作用する点を挙げる。

 それは、場合にもよるが、
 自分が物語にある程度干渉出来る事や、キャラを操作する事や育てる事を通して、
 キャラに感情移入がし易くなるという点が挙げられる。

 システム重視の作品であれば、物語は薄くなる上、理解し難くなる。
 物語を楽しむには、始まりから終わりまで記憶をある程度だが維持している必要があり、
 レベル上げやお使いに多くの時間を取られるわけにはいかないのである。

 これをADVに応用した場合、理想的な比率は、
 システムが一割五分、物語が八割五分程度であると、個人的には考える。



脚本:


 次にADVの利点を挙げる。

 ADVの利点とは、シナリオが長い事が多く、感情移入がなされ易いという点にある。
 我々は、不快でないものに対しては、単純に接触した回数が多い程に好感を抱く傾向にある。
 これは単純に愛着と言ってもいいだろう。

 シナリオの分量と人称視点について。

 アニメやゲームでは、特定の人物間の関係を描くには不十分な事が多い。
 その理由は、シナリオが短いことが多く、かつ群像劇が基本である為。
 ゲームでは、レベル上げやお使いといった作業に時間が取られることもまた問題である。

 とは言え、分量という点では、作品毎による違いも極めて多い。

 ADV作品における内面描写は、人称視点がほぼ全編に渡って一人称である事が多く、
 主人公の想いを直接知る事が出来るという点も大きい。

 群像劇は各人物の想いを容易に知ることができ、
 物語に広がりを与える事が出来るが、感情移入が分散し浅くなる。

 感情移入について。

 物語への没入は、基本的に、主人公に自己投影する事が不可欠である。
 それを通じてこそ、我々は物語世界の一人となるである。

 物語世界の一人となり、登場人物の想いを共有・理解する事によって、
 我々は初めて、その喜びや痛みを我がものとするのである。

 十分な感情移入がなされた時、我らはその者のかすり傷にさえ憐れみを覚え、
 それがなされない時には、その者の死にすら心を動かされる事は無いだろう。

 カタルシスを得るには、物語における人物の想いを知ることが必要であり、
 観察者・観測者・傍観者ではそれが得られないのである。



ルートデザイン:


 ルートデザインは大きく分けて、単線型と分岐型がある。

 単線型は、選択肢すら無い為、ゲームとは呼べないかも知れない。

 単線型は、プレイヤーが物語に干渉する余地が無く、
 決断を迫られる事が無い為、システム的な面による物語への感情移入は促されない。
 
 この点で、分岐型は優れていると言えるが、無駄な選択肢を乱発する事は
 プレイヤーに対し無用なストレスを与えるだけであり、
 また、それまでに蓄積した情報だけでは解けないもの、解答が理不尽であるものは、
 プレイヤーを物語の世界から追い出す事になりかねない。
 
 何故なら、解答が不正解であった場合、プレイヤーは
 物語世界から拒絶されたように感じられるからである。

 選択肢の数が過不足のないものであり、また正解が妥当なものであれば、
 プレイヤーが物語の情報を把握する為の動機付けにもなる。

 そうした試練を超えた先にトゥルーエンドがあれば、
 その時にこそ、我々は勝利の美酒を味わうことが出来るのである。

 分岐型ルートデザインの考察を更に進めよう。

 全てのルートを終えて初めて、物語世界の理解が得られるという仕組みは
 感情移入という観点からは相応しくないが、
 それぞれが一つの物語としてある程度まで閉じている限りにおいては、認められる。


 <あの人は誰だったのだろう?>、<あの出来事は何だったのだろう?>という疑問を、
 多く抱えたままに終わりを迎えると、素直に感動することが出来なくなってしまう為。


 全てのルートを終えて全容を把握した時には、新鮮な気持ちは既に無く、物語の生命は失われている。
 それは、死者の身体を繋ぎ合せたフランケンシュタインに過ぎないのである。

 完全に他のルートを前提としている場合は、おまけや特典、
 またはいわゆる解答編として与えられる事もある。



結論:


 以上を以って、各媒体における各要素について、
 どれだけの利点と欠点があるのかが、大まかにではあるが語られたものとする。

 アニメは演出、ADVは脚本、ゲームはシステムにおいて、
 基本的にそれぞれ最も優れた媒体であると考えられる。

 またそれらにおいて重視されるものを比率で示すと、以下の通りである。
 これは筆者の個人的な考えであるという点に注意。

  脚本 演出 ゲーム性
アニメ 五割 五割
ADV 七割 二割 一割
ゲーム 二割 三割 五割


 アニメにおいては、ゲーム性以外の各要素が二割前後変動し、
 ADVにおいては一割前後、ゲームにおいては三割前後まで、
 重要度はそれぞれプラスとマイナスに変動する。

 ジャンルによっては、更に変わる事もあるだろう。

 ゲームにおける脚本の不備は軽傷で済むが、ADVにおけるそれは致命傷へと至る。
 ADVにおけるゲーム性の不備はかすり傷で済むが、ゲームにおけるそれは致命傷へと至る。

 百合に関してだが、基本的に関係の構築や描写を丁寧に描く必要がある為、
 脚本を最も重視するべきである。


 故に、脚本の分量と一人称視点等といった観点から、
 少なくともこれら三つの媒体の中では、
 ADVが百合を描くのに最も相応しい媒体であると結論される。





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