序文:
『私的百合論考』の補稿で進めてきた考察から、
定義問題と差別問題だけに絞って挙げておく事にする。
より詳しくは、各自『ユリイカ 2014年12月号』に目を通すように。
定義問題については良く知られているとは思うが、差別問題に関しては
『屋上の百合霊さん』での論争を他サイトで確認しておくこと。
一つ注意しておくが、<近年における創作ジャンルの一つとしての百合>と、
<現実における女性同性愛を表す隠語として生じた百合>の内、本稿で指すのは基本的に前者である。
要約:
定義問題から差別問題への流れを簡単に書き出すと、以下のようになる。
一, 彼女達自身の在り方ではなく、観測者によって定義される事で百合は成立する ※この百合は創作である
二, 観測者は皆、独自の基準を意識的・無意識的に所有している
三, そこに何らかの共通点は見られるが、決して一様ではない
四, 観測者には当事者と非当事者が存在する
五, 当事者とは、物語の登場人物に感情移入した者ではなく、現実の女性同性愛者を指す
六, 性的マイノリティが百合の主要な構成要素であり、それ故に現実のジェンダー問題が顕在化し易い
七, 当事者の一部は、百合を異性愛主義への批判、それからの解放と見なす向きがある
八, 異性愛主義への反省・自己批判を行っていないとして、百合作品を糾弾する者が現れる
三までは個人の趣味趣向であり、八はもはや政治上の問題である。
これらに加え、百合を憎む者と争いを好む者が乱入し、事態は混沌を極めてきた。
引用:
『ユリイカ』26年12月号 P,98より。
“――百合とレズビアンの定義も、よくわからないですよね。 天野 私が今まで聞いた中で一番納得した説明は、森島明子先生がおっしゃっていたものですね。 「レズは一人でいてもレズ。百合は二人いるのを外部から見て決めるもの。 本人たちがどう思っているかはともかく、外部から見てはじめて百合は百合になる」という” |
上記の発言だが、つまりは当人の性的指向や性自認に関わらず、
他者が想像によってその関係を創造していると言えよう。故に、百合とは空想の産物である。
「ユリイカ」以外からも引用しておこう。デュシャンの「みるものが芸術をつくる」のだという考え。
上記の括弧内が一部ひらがなで書かれているのは、そこに多くの意味が含蓄されている為である。
“「芸術作品についての最後の判断を下すのは見る者なのだ」、 「芸術作品は作る者と見る者という二本の電極からなっていて、 ちょうどこの両極間の作用によって火花が起こるように、何ものかを生み出す」” |
“マット氏が自分の手で『泉』を制作したかどうかは重要ではない。 彼はそれを選んだのだ。彼は日用品を選び、それを新しい主題と観点のもと、 その有用性が消失するようにした。そのオブジェについての新しい思考を創造したのだ” |
こうした観点からすれば、百合を定義する事は芸術に通じるものがある。
そして基本的に、芸術とは自由であらねばならない。
日本と米国の違いについては本稿下部を参照。創作に寛容で、同性愛の公的な受け容れに慎重な日本だからこそ、
葛藤を描く事が出来る。(筆者個人としては、百合作品に必ずしも葛藤を求めてはいないが)
保守派が渋谷区の同性パートナーシップ条例に反対した理由については、「同性婚 不法滞在」で検索するように。
同性婚は認められるべきだと筆者は考えているが、十分に用心して冷静に事を進めるべきである。
http://jack4afric.exblog.jp/24328628/
現実によって空想の領域が侵犯されない様に、筆者はこれまで注意を喚起してきた。
無論、個人的にはその逆を行わないようにもしてきたつもりである。
以下は『ユリイカ 26年12月号』 P,119・120より。日本ではフィクションをフィクションとして受容してきた。
“これは私が日本を出てから感じた事なのですが、アメリカには「百合」作品が 創作され発展する土壌が少ないと思います。 海外の社会から見た時に、「百合」は日本という外国の異文化だからこそ受け入れが 可能なのであって、海外でおなじ「百合」を描いたら、よほどコンセプトがしっかりとした 作品でない限り、日本とは違って多様性を重視している社会では百合の世界観そのものが 排他的・差別的とさえ受け取られかねないかもしれません。” |
“米国の半分以上の州が同性婚をすでに正式に認め、助けが必要なLGBTQの若者には 適切なサポートがされ、MANGAやコミック作家は「何故この作品が社会にとって必要なのか」 というミッションステイトメントを持ち、多様性と新しい才能をボーターレスに牽引するべく 補助金までが支給されるお国柄だからです。 一方伝統的な文化を継承する体質の日本では、社会と実際的な連動をせず 漫画やアニメがそれぞれの世界に引きこもり、それぞれの世界のなかで 深く発展していくのは百合だけに限らないと思います。” |
以下は『ユリイカ』26年12月号 P,91より。一人の消費者としての、女性同性愛者からの発言。
“女性同性愛をいつも性的対象として消費される被害者の側に置き、 そんな差別構造に無自覚である異性愛男性を糾弾するような論を展開すれば私は楽でしょう。 人を謝らせるだけで済むのだもの。でも私はそれをしません。私だって消費しています。 新『セーラームーン』の亜美ちゃんの変身シーンでおっぱいのラインが描かれなくなったことを 嘆いたりしながら、消費し消費されて私は生きています。いわゆるレズビアンに分類される私は、 百合ップルとして消費される客体であると同時に、百合を消費する主体でもあるのです。 レズビアンが全員百合好きとは限りませんが、とにかく、百合/レズ、加害者/被害者を 単純に二項対立で考えるのは怠慢であり、世界はそんなにつまらなくはないわ”(以下略) |
百合作品において、男性向けと思われたサービスシーンを女性が楽しめるという例でもある。
百合男子:
周知の通り、『百合男子』という漫画がある。
これの主人公は、空想と現実の区別が付いていないとして、
二巻において、籠目正二郎というキャラに指摘される。
二巻の後書きにおいて、彼に同意を寄せる声が多く挙がったという事が語られた。
これは作者の想定外であったそうだ。
一巻までしか読んでいない者は、二巻まで目を通す事をお勧めする。
蔑称:
レズという言葉には、ポルノのイメージが付随する。
そこ(空想)からレズビアン(現実)の在り方に結び付けようとするから、彼女達に迷惑がかかる。
上記の百合男子でもそうだが、空想と現実を区別して考える事が重要だ。
屋上の百合霊さん:
本作は、アメリカのPCゲームダウンロードプラットフォームSteamにて配信される事が決定している。
本作の翻訳者である蛟龍氏は以下のようにコメントしている。
“「大手ゲーム販売プラットフォームが同性愛作品を修正なしで認可したのは、社会の懐が広くなった証拠である」”
内容に修正を加えない事から、本作が与える良い影響も考慮されたものと思われる。
本作は、異性愛者と同性愛者の架け橋になり得る。
本作の主人公は、ごく一般的と思われる偏見を多少持っているものの、同性愛に対して理解を示していく。
プレイする事すらなく、本作の主人公を非難した同性愛者の方がおられたが、
そうした態度はあまり良い趣味とは言えない。
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